こんにちは、ひーこです。
昨日は新寺こちみ市実行委員会主催の「新寺墓参」に参加しました。
新寺には数々のお寺があるのは知っていましたが、そこでどのような著名人が眠っているのか興味津々で参加してみました。
新寺の地名の由来
元々、青葉区本町の家具の街あたりはたくさんの寺院がある寺町だったそうです。
今でも本町には大仏前(おぼとけまえ)など、かつての寺町を連想させる地名が残っています。
寛永13,14年(1637~8)頃に本町から一部の寺院が新寺の方に移されたため、「新しい寺=新寺」と呼ばれるようになったそうです。
また、元々寺町だった本町のあたりは「元寺」と呼ばれ、現在でも元寺小路など通り名が残っています。
昭和40年に区画整理事業があり墓地を葛岡霊園に移設した寺もあるが、現在も30以上の寺があります。
松音寺
只野真葛(ただのまくず)
松音寺には、江戸で生まれ再婚して仙台で暮らした女流作家の只野真葛が眠っていました。
私が趣味で勉強している古文書の教材「塩竃まうで」を書いた方だと知り、一気に親近感が湧きました。
遠藤曰人(えんどうあつじん)
只野真葛の墓の近くには、俳人で俳画のも多く残している遠藤曰人の墓がありました。
この方の俳画の代表作は木下の白山神社の祭りを描いた「ボンボコ祭り図」だそうです。
「ボンボコ祭り図」は、多くの人で賑わう祭りの絵で、その中にはラクダが描かれており、当時はラクダが見世物にされていたのかもしれません。
大林寺
次にやってきたのは大林寺です。
こちらにはかの有名な土井晩翠の土井家の墓があり、入って右側に土井晩翠の歌碑が立っています。
土井晩翠・土井英一
土井晩翠は「荒城の月」の作詞者くらいしか知識がなかったのですが、説明を聞いて子供達2人とも自分より早くに亡くし、その後奥さんも亡くなり晩年はとても孤独で辛い思いをされたに違いないと思いました。
これからも仙台に住む身としては、一度土井晩翠のことをしっかり学ぼうと思いました。
土井家の墓には、土井晩翠の長男土井英一や、その他土井家の方々が眠っています。
亀田米子
亀田米子の墓は、ものすごく大きな墓石でした。
(写真を撮れなかったので、後日追加します。)
亀田米子は女性数学者として、指導した生徒は数万人に上るそうです。
彼女は数学館仙台校で学んだ後、明治29年に仙台に亀田数学塾を開きました。
その後宮城県高等女学校で数学、漢文、音楽なども教えたこともあったそうです。
生涯結婚はされず、甥を養子にし、晩年は奈良で暮らしたとのことです。
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林香院
天江富弥
「天江のおんちゃん」と親しまれ、居酒屋「炉ばた」の主人だった天江富弥が眠っていました。
天江富弥はとても面倒見が良くて、あの仙台四郎の面倒をみていたそうです。
また、当時こけしの呼び名が色々あったそうで、それを「こけし」に統一したり、こけしの本を出版したり、文化的にも影響を与えた方だったそうです。
居酒屋「炉ばた」は今でも営業中なのでぜひぜひ行ってみたいです。
▼「炉ばた」食べログ掲載中▼
おわりに ~著名人のお墓参りをする人々~
このように色々な方のお墓を巡りましたが、新寺だけでも沢山の著名人の墓があることに驚かされました。
そして何より私が一番心を打たれたのは、土井晩翠や天江富弥のお墓の花が新しかったというところでした。
きっと親族でない方もちょくちょく来たりしてるのではないかと思います。
実際、ガイド役をしてくださった方も土井晩翠のお墓にお花を添えたり、水をかけたりしているとおっしゃっていました。
仙台で活躍した方を愛し、身近に感じ、何気なくお墓の様子を見る
そんな人の思いに胸が打たれました。本当に素晴らしいです。
お墓で転ぶと大変なことになるって聞いたから、足元めっちゃ気を付けたよ~
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