こんにちは、ひーこです。
今日で東日本大震災から9年ですね。
私は「なかの伝承の丘」へ行き、手を合わせてきました。
今回はその「なかの伝承の丘」のご紹介をしたいと思います。
私は震災後に仙台に来たため、震災を経験していない私がこのような記事を書くのはどうなのかなぁと思いましたが、当時蒲生に住んでいて被災した旦那から話を聞きながら書きました。
是非ご覧くださいm(_ _)m
中野小学校とは
中野小学校は、宮城野区蒲生地区にあった小学校です。
小学校の歴史は古く、開校は何と明治6年!
日本最古の小学校は明治元年開校らしいけど、そんなに変わらないね!
中野小学校は蒲生干潟をはじめ豊かな自然に囲まれていたため、野鳥観察の授業など環境教育に力を入れていました。学校の屋上には望遠鏡が置かれており、そこから野鳥を観察することが出来たそうです。
また、学区民運動会など地域の人々と連携したイベントも行われていました。
中野小に赴任した先生方は、最初は田舎の方の学校かと少しガッカリするけど、いざ来てみたら「地域と一体感のある最高の学校だった」と思う先生が多かったそうです^ ^
地域の人々から愛され、蒲生に無くてはならない存在だった中野小学校。本当に閉校が悔やまれてなりません。
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なかの伝承の丘とは
なかの伝承の丘は、中野小学校跡地に作られたモニュメントです。
2016年8月11日に完成式典が行われました。
完成式典の日はとても気持ちの良い快晴でした。
また、毎年3月には震災で被害にあった方々の慰霊祭を行っています。
なかの伝承の丘完成後初の慰霊祭は、皆でカラフルな風船を飛ばしました。
なかの伝承の丘はこんなところ
なかの伝承の丘は、小高い丘の上に震災の犠牲者の氏名を刻んだ慰霊碑「希望の絆 中野」と、慰霊塔「希望の鐘」があります。
この小高い丘は震災前の日和山をイメージしており、標高も以前の日和山と同じ6.05mとなっています。
【参考】以前の日和山
小高い丘の手前には、色々な石碑が立っています。
こちらが、蒲生の各町内会の歴史を記した石碑です。
右側には中野小学校の閉校記念碑。
その隣には、中野小の生徒たちが作成した素敵なモザイクアートがあります。
こちらは中野小百周年記念碑です。
一番右側には環境庁長官賞受賞記念碑が並んでいます。
階段を登っていくと、途中に津波到達地点の表記があります。
こちらが慰霊塔「希望の鐘」 です。
蒲生干潟と水鳥のコアジサシが描かれています。
GACKTが来たことも!
以前、GACKTがボーカルを務めるバンドYellow Fried Chickenzの「また、ここで逢いましょッ」という曲のMVの撮影を中野小学校跡地で行ったことが縁で、2018年3月11日の早朝にこのなかの伝承の丘に献花しに来てくださいました。
アクセス
県道10号塩釜亘理線の「高砂橋」交差点を海の方向に曲がり、しばらく直進すると案内の看板があります。
おわりに
中野小学校の跡地に出来た「なかの伝承の丘」は、震災で被害に合われた方々の慰霊碑や、震災前の蒲生の生活の様子や、中野小学校の在りし日の姿を感じることが出来る場所です。
いつでも解放されているので、近くにお越しの際は是非行ってみてください^ ^
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